8月28日(日)、名立区住民福祉会(松本新一会長)は午前9時から午後3時まで、名立地区公民館で「シベリア抑留・名立における太平洋戦争関連資料展」を開催しました。
シベリア抑留は太平洋戦争終戦後、武装解除され投降した日本軍や民間人らがソ連(当時)によって主にシベリアなどへ労働力として移送隔離され、長期にわたる抑留生活と強制労働により多数の人的被害を生じたことをいうもので、抑留された方は約57万5千人に上り、厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万8千人が死亡したとされています。
しかし、このうち氏名など個人が特定された数は約4万6千人で、この抑留による死亡者名簿『シベリアに逝きし人々を刻す~ソ連抑留中死亡者名簿(2007年出版)』を生涯をかけて作成された方がご本人もシベリア抑留された故村山常雄さんです。
村山さんは昭和30年頃、旧名立町立名南中学校で教鞭をとっておられた先生で、その教え子であり、お父さんもシベリア抑留された斉藤武雄さん(79歳)から資料提供を受け、資料展を開催したものです。
そして、この機会に名立における太平洋戦争当時の暮らしなどについても振り返ってみることとし、当時の水筒や脚絆、鉄兜等を上越市立歴史博物館からお借りし、あわせて展示することができました。
名立町史によれば太平洋戦争で戦死された名立の方は225人ですが、太平洋戦争が終了して4年後の昭和24年3月30日、名立機雷爆発事件が発生し、児童を含む63人が犠牲となりました。
機雷爆発事件の石碑には「平和をまもる」と刻まれ、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えています。
来場された32人は全員が60歳代以上で、そのなかには旧名南中学校で村山さんから教わった方や他校で同僚で、糸魚川市からお越しいただいた元教師の方など、村山さんとゆかりの深い方も多くおられました。
そして、みなさんにお願いしたアンケートでは全員が「村山常雄さんの取り組み、功績に敬意を表する」とされたほか、「戦争や平和について考える機会となった」と「次代にこうしたことを伝えていかなければならない」にも多くの回答がありました。
名立区住民福祉会では資料展でいただいたご意見等を踏まえ、今後、区内の関係団体と連携しながら、次代につなげる取り組みを進めていきたいと考えています。
(名立区住民福祉会事務局 三浦)
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